2009年1月22日

ルドルフ・ベリング 「エロティシズム」

なんだか生気を吸い取られたようになっている。いや、確かにいつもそうなんだけど。

この間エッセンに行ってきまして、ヴィラ・フーゲルという屋敷で開かれていた美術展を見てきました。
現在工事中のフォルクガング・ミュージアムのコレクションで、かなり気合の入った作品群でしたぜ。

いい作品が本当に沢山あったのですが、アート好きを気取ったエロマニア(俗にむっつりスケベと呼ばれる)としては外せない!と思ったのが、ルドルフ・ベリング(1886-1972)の彫刻、「エロティシズム」(1920)。

タイトルだけ聞いて、エッ、そんなのっていいの?と思った紳士淑女の皆さん、ご安心なされ。


















こんなんだから。


まずは、本屋ですっごい恥ずかしい思いをしながら買ったバスタードの単行本にHシーンが全く無かった、みたいな脱力感を味わっていただきたい。思わせぶりな表紙つけんなよ!みたいな。 いや、経験談とかじゃないですよ?

ようやく気持ちが落ち着いた所で、もう一度よく見てみてください。
一見ゴテゴテした輪のように見えるこの作品、実は絡み合う2人の人間の体なんです。

背中をアーチ上にして上になっているのが男性の体で、右側が頭、左端がウエストです。
男性の頭の下にあるのが女性の頭、キスしているんですね(写真では見えないけど2人とも口を開けている)。下側になっているのが彼女の身体で、男性の腰の横に折り曲げた脚が見えます。女性の体の横に見えるのは彼女の背中をかき抱いている男性の手。

正上位で抱き合っているカップル、というわけです。 

分かりやすくはないが、看板に偽りなしということか。エロティシズムというよりむしろ直球のエロです。でかした!

後ろから見るともっとよくわかるかも。














がっつり組み合ってます。

ベリングは金属を使ってキュービズムの彫刻を沢山作りました。沢山の視点を使ってモチーフを抽象化し、動きを表現しようとしたんですな。彫刻なので実際に動きはしないんですが、輪という形状と鋭角を多用した輪郭には確かに動き出しそうな躍動感があります。

躍動感というか、まあ激しくなっちゃってる様子は十分に表現されてると思う。

輪、というモチーフにはどこまでも終わりが無いという意味があるので、どこからが彼の身体で、どこまでが彼女の身体だという境界線が無いということでもありそうです。文字通り一つになっちゃってるんですね。

キュービストの彫刻では人体がかなり抽象化されているので、これはどの部分、あれはこの部分と探しながら見るより、あー、がっちり絡み合っちゃってんな、と全体の雰囲気を見るといいかもしれない(あとはアレだ、事の最中の躍動感だ!)

最初は ?と思っても、注意して眺めていると !となる作品は結構多いものです。

隠れたエロスを発掘するのって楽しい。




彫刻の周りを5,6週しちゃったけどね
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2009年1月11日

アートと政治、戦争の関係

週末エッセンに小旅行に行ってきました。いい絵を沢山見たので、そのときの事をアップしようと思ったのですが、ガザのニュースを見て気が変わりました。

何故みんなが平和に暮らせないの?とナイーブな事を言うつもりはありません。


だけど人間の命が、民間人の命がこんな風に失われていいはずがない。


以前紹介したタニア・オストイッチがインタビューで語った言葉を思い出しました。

「作品を見る人にどういった反応を引き起こしたいと思いますか?」という質問に対しての返答は、

「思考回路を刺激して、その人が今までに考えたこと、経験したこと、もしくは意識したことがなかった何かを認知して欲しいのです。経験上言える事ですが、アートでは社会的・政治的な現実をすぐに変える事は出来ません。しかしアートが非政治的でないという事は重要なのです。アートは時にある種の疑問を投げかけますし、現在主流となっている風潮とは違う価値観を提供する事も出来るのですから」というものでした。

美術に携わって生きていこうと決めた頃、胸に刻んだ言葉です。

自分に出来ること何もはないから、というのは無関心でいる理由にはならない、そう思います。

今回紹介するのはドイツ人アーティスト、バーバラ・ハラリ(1979-)のショート・フィルム、「より良い世界のために」2006年

アメリカの中東での戦争をテーマにした作品で、ヨーロッパではいくつも賞を取りました。

「メディアに出る戦争の写真はほとんど感情に訴えることがありません。頭に浮かぶのは『状況の描写』という言葉だけです。このフィルムはその言葉を観念的な映像とし、自分自信をその状況に置いてみようという試みで作りました。戦争というものが一人の人間にとって意味する事とは何なのでしょう」-ウェブサイトより


ドローイングを連続して撮影したトリック・フィルムですが、非常にショッキングでグラフィックな絵が含まれています。リンクを張っておきますが、見て気分の悪くなる方もいるかもしれません、十分注意してくださいね。

For a Better World, Barbara Hlali, 2006 (部分)

ガザの犠牲者の冥福を祈りながら。一刻も早く殺戮が終わりますように。




次回はエロスに戻ろうか
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2009年1月4日

エゴン・シーレ2 妻エディットの肖像

いい加減に書き終わらないと忘れてしまうので、ようやくシーレの続きを書きます。

前回の記事はこちらから

さてシーレは1915年、25歳の時に裕福なうちの娘エディット・ハームスと結婚します。が、当時モデル兼愛人だったヴァリー・ノイツェルとも関係を続けるつもりだったようで、毎年エディット抜きでヴァケーションに行こうと提案しますが、断られます。あたり前だわな。この後ヴァリーは看護婦になり、シーレとは一生会わなかったそうです。

結婚に関してどこか冷めた目で見ていて、エディットにも一度もラブ・レターを書いたことがなかったという。新妻から抱きしめられている自画像は、四肢に力が入っていないのがまるわかりです。ていうか、まるで死んだ魚の目です。なんだそれ、愛情が重荷だったんかい。




















座る夫婦(エゴンとエディット・シーレ)1915

シーレは新婚4日で徴兵され戦地に赴きますが、1917年に無事帰国、ウィーンに新居を構えます。
画家として成功したこともあってか、家庭的に落ち着いた生活をしていたようです。わたくし個人的には初期のビリビリした緊張感のある絵よりも、この頃の絵のほうが好き。なんだか丸くなったようで。

当然のように妻の裸も描きまくる。















裸婦像

このスケッチは特にそうだけど、初期に描いていた少女達と比べると明らかに線が柔らかく穏やかになり、全体的に優美な落ち着きがある。エディットの表情にも、ふと起き上がった瞬間を捉えたような生活感が感じられますな。

 










「横たわる女」1917

きわどいポーズの絵にしてみても、前よりもずっと明るい開放的な雰囲気になっています。
やっぱり結婚して性エネルギーが開放されのか、生き生きとした人間らしい表現になったなと。













「抱擁」1917

あまり奥さんを大事にしていなかったのかと思いきや、こんな絵を描いたりもして。シーツの上で抱き合うカップルはもちろん自分とエディット。
実はこの絵、結構緊張感があるんですよ。シーレの女暦、というか女癖もあってか、二人の結婚生活は中々波乱万丈だったようです。どこか硬い感じのポーズで、いまいち密着しあっていない。でもエディットがシーレの首筋に添えた手や、互いに抱き合う腕の力からはやっぱり愛情が伝わってきて、何度見てもモキュモキュさせらせちゃうんですが。

シーレはこの翌年、1918年にインフルエンザ(スペイン風邪)で28歳の若さで亡くなります。くしくも当時妊娠6ヶ月だったエディットが同じ病に屈した3日後でした。最後の作品は妻のスケッチだったそうです。

長生きしていたら、きっと沢山の作品を残していただろうに。この後、シーレが歳を取っていくにつれて、どんな風に作風が変化していっただろうと思うと残念です。

晩年の作品はそんなにポルノちっくではないので、ドイツ、オーストリア辺りにお住まいの方はぜひ美術館で本物をご覧になってみては?


セクシーな気分になれること請け合いです。

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2009年1月3日

EUパスポート保持者の夫を募集中

ギュスターヴ・クールベの「世界の起源」を書いていて思い出したのだけど、あれのパロディで面白いのがある。

セルビア出身のフェミニスト・アーティスト、タニア・オストイッチのパロディー、通称「EUパンティー」である。















Tanja Ostojic, L'Origine du monde, 2002. 「世界の起源」

EUの星マークの入ったパンティーを穿いている以外は、クールベの絵と同じ構図の写真(モデルはアーティスト本人)。

オストイッチはセルビアを含む他の東ヨーロッパとEUの関係をテーマにした作品を多く製作しており、その中でEUの経済的、政治的な権力とその尊大さを疑問視しています。この写真は色んな解釈が出来ると思うけど、まず最初に思いつくのはタイトルとの関係。ヨーロッパの起源とは実際何なんだろうか。EUってどこまでヨーロッパを代表するものなんだろうか。

フェミニストであるオストイッチは、EU加盟国以外の東ヨーロッパの女性の現状に焦点を当てます。
2000年のインターネット・プロジェクト「EUパスポート保持者の夫を募集中」は中々ショッキングな作品。




















Tanja Ostojic, Looking for a Husband with a EU passport, Interactive Web Project, 2000-2005
この作品でオストイッチは「EUパスポート保持者の夫を募集しています」と書いた自分のヌード写真を実際にウェブ上に公開した。写真の下には「応募書類をhottanja @hotmail.com まで送ってください。質問詳細などご遠慮なくどうぞ」と書かれています。

みらんは実際にこの作品を見たことがあるのです。
インスタレーションとして展示してあったのは、上の写真、この写真を見た男性達から送られてきたおびただしい数のEメールのプリントアウト、アーティストと男性達のメールでのやり取り、そして、彼女が選んだ一人の男性とベルグラードで始めて会った時のビデオでした(これもパフォーマンスの一環だった)。












オストイッチはメッセージを送ってきた男性たちとメールで交信を続け、7ヵ月間の交信の後にドイツ人アーティストのクレメンス・ゴルフと結婚、ドイツへの3年間の居住許可を手に入れます。その後デュッセルドルフに住みますが、2005年に許可が切れたとき、彼女には永住権ではなく2年間の期限付きビザが与えられます。オストイチはその年に離婚し、ベルリンのギャラリーで「離婚パーティー」と題したパフォーマンスを行っています。

このアートに対する姿勢というのはすさまじいものがある。
これはウェブで夫を募集して結婚してしまう、というもはやアートの粋を超えているんではないか、というプロジェクトなわけですが、実際に、多くの東ヨーロッパの女性達がこの手段で豊かな国に移住しているのも事実なのです。売春の一環のようによく言われますが、実際にあまり変わらなかったりする。

まるで囚人のように丸坊主のオストイッチは、裸でこそあれ、まるで性的な匂いを感じさせない。どちらかというと警察で撮られる写真みたいに直立、挑むような目つきでカメラを見つめる。それでも、送られてきたメールはすごいものばかり。「こんにちは、お嬢さん」から始まるものだったり、「君の写真見て勃起しちゃったよ・・・!」っていうのもある、っていう違いはあれど、どれもみな彼女を性的な対象として見ている。最初は仕事の話をしていた男も、メールの交信を重ねるうちに「毛はいつも剃ってるの?」と書いてきたり。

3年間結婚していても結局永住権は得られなかった、というところにEUの移民に対する厳しい姿勢が見えますが、それ以上にジェンダーやEUの現状に対して色んな疑問が湧き上がる作品。見た後すごくモヤモヤします。ショッキングです。

これを見た後にEUパンティーを見ると、また違った見方が出来るかもしれない。女性はパンツ脱がないとEUに入れないとか。

スロバキアがユーロを導入したというニュースを聞いたので、今回はハードコアでした。

2009年1月2日

明けまして

おめでとうございます。

まもなく学校も始まることだし、なんだかイマイチおめでたい気がしないのだけど、まあ良しとしよう。

大晦日は友達のうちに招待されたので、彼女とお兄さんと彼女の彼氏と4人でDVDなどを見て過ごした。アイス・エイジ2、悪くはないんだけど、あまり良くもない映画であった。

最近どの映画もシリーズ化させる傾向があるけど、あれってどうなんだろうか。ジェームス・ボンドの新作も前回の続きらしいし(まだ見てない)、映画業界はよっぽどネタ切れなのかもしれない、などと考えていたら、「もう寝るよ」と立ち上がりかけたお兄さんがすごい爆音で放屁した。

部屋中に染み渡る沈黙。

テレビではクリスティーナ・アギレラのライブをやっていたので、軽いプッであればみんな聞こえないふりをして平和に事が運べたのだろうけど、ちょっと気づかないふりが出来ないくらいの大音量、しかも長いという、屁の中の屁、とでも言うべき屁の音であった。

本人も予想外の事態に戸惑ったのか、ソファから立ち上がりかけたまま、中腰の姿勢で固まってしまった。いくら屁をこいたからって、そんな律儀に屁っぴり腰でいなくてもいいのに、と思ったけど、本当にしばらくフリーズしていた。確かにちょっとしたパーソナル・クライシスではある。

こういうときのリアクションというのは、家族や個人によって非常に異なる。

屁を放った本人がすぐに「いやあ悪い悪い、出ちゃったよ!!」と明るく言い放てば、まわりも「もう、しょうがないんだから!ウフフアハハ」で済むのだが、これはかなり高度なテクニックである。
周りが「ウフフアハハ」と笑ってくれず、シーンとしてしまった場合は自爆するので、周りの人間との信頼関係がないとオススメできない。

わたくし個人に関して言えば、お兄さんが放屁した0コンマ7秒くらいあとには、いつでもウフフが出来る準備をしていた。しかし、彼に最も近い存在であるはずの妹が沈黙を貫き通す姿勢を見せたので、郷に入れば郷に従えということで、画面の中のクリスティーナを凝視し、彼が精神的に回復するのを静かに待った。

お兄さんはようやく動き出すと、おもむろにテーブルの上の食器をいくつか集め、無言でキッチンへ向かい、必要以上にガチャガチャ音をさせながら片づけをしていた。まるで彼の心の悲鳴のような音であった。
気が済むまでガチャガチャやったらいいよ、涙の数だけ強くなれるから、と静かに思った、そんな新年。



今年はどんな年になるのだろうかと思ったけど、どんなに頑張っても想像できる気がしないので止めた。とりあえずアレだ、プライオリティは健康と精神衛生だ。

新年早々、あからさまに無気力なみらんですが、このブログともどもよろしくお願いいたします。

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