2009年10月27日

心機一転

さりげないエロスの定番

トップ画像を更新しました。

センターフォールドの名にふさわしいものねえかな、と思っていると、夢にアングレが出てきましたので、ベタですが「グランド・オダリスク」です。加工するのが楽しかった。

時々こうやって画像を更新したいですね。 



春ごろから気ぜわしく、更新が滞りがちになっているのですが、みなさん結構見に来て下さっていて本当に感謝です。

もう、こんな大して内容もないエロくもないブログで申し訳ない(平伏)。

単純に仕事が忙しいってだけなんですけどね。



うちの会社はちょっと特殊な業務を請け負っている所なので、かなり小規模です。

どのくらい小規模かというと、社員を一般に募集しないくらい小さいです。

というか、今年の新入社員は私ひとりなんで同期とかいません(マジ)。

入社式とかももちろん無くて、

「皆さん、林さんです。じゃ自己紹介お願いします」

って朝ミーティングで紹介されただけでした。

新入社員っていうか、ほぼ転校生でした。


こういう会社は人間関係がシンプルでいいんですが、一人ひとりが仕事において負う責任も大きいんですね。

やっと慣れてきた感じなので、この調子で飄々とやっていきたいと思います、が、


仕事の疲れか、まったくエロスを感じない生活をしています。


完全にセックスレスと言うか、もっと言えば色気フリーであります。

完全に性エネルギーが撃退されている状態なので、今エロスについて書ける気がしません。



どうしよう。



とにかく仕事と同じように、ブログのほうも淡々と書き進めて行きたいと思います。
リビドーもそのうち回復すんだろ。


なんかセクシーな出来事ねえかなあ。
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2009年10月25日

無防備な腕

私には外資系の仕事に就いている兄がいるのですが、その兄が今多いにはまっているのが海外ドラマ。

ネットでオーダーしているらしく、帰ってくるとよくテレビで見ています。

私も時々一緒に見ているのですが、面白いですね。(英語は難しいですが。)

役者も上手いし、何よりスケールが違いますなあ。



兄が最近気に入っているのが「ザ・クリーナー」というアメリカのドラマシリーズ。

麻薬中毒患者を更生させる職業に就いている自分自身も元中毒者という男性、ウィリアムが主人公なのですが、これが中々おもしろい。

登場する人たちは、一口にヤク中といっても、アル中、シャブ中から処方薬の乱用までおりまして、これが皆さんどれもひどい状態。 

クスリを手に入れるためだったら何でもする、みたいな。ドラマなんだけど、非常にリアルなやられっぷり。

そんな常軌を逸しちゃってる方々を厳しく暖かく説得し、時に無理やり安定剤を注射して強制的にリハビリ施設に入れるウィリアムと仲間たちの物語なのですが、実はこのドラマの1シーズンのDVDのカバーが気になりましてね。


コレ




一目見た時にハッとしたんですが、この抱かれている方のウィリアムのポーズって、

カラヴァッジオの「キリストの埋葬」(1600,バチカン宮美術館蔵)ですよね。




ちなみにカラヴァッジオについては前にも書いております。その時の記事はこちら

こんなに似ててまさか偶然てことは無いよね、と思って兄に聞いてみたのですが、

「その絵知らない」と一言。 

有名だけど、でも知らない人は知らないわ、確かに。

ちょっと見てみてよ、とDVDと比べて写真を見せてみると、

「あー、似てるね。なんか、この絵だってピンと来なくても、どっかで見たことあるような感じはするんだよな」と言う。

それもそのはず。この、死んで抱きかかえられるキリストのモチーフというのは元々ピエタから来ているもので、中世ごろにはヨーロッパですでに確立されていたんです。 

ピエタというのは、死んだキリストを抱きかかえる聖母マリアのことでして、キリスト教美術には良く出てくるイメージです。

赤ん坊のキリストを抱く聖母像の対照にあたるんですな。

そして世界で一番有名なピエタといえば、恐らくミケランジェロ作のこれでしょう。



意外とでかい



「ピエタ」(1499,サン・ピエトロ大聖堂蔵)

この、腕だらんポーズ(名作が一気にイロモノっぽい名前に)は後世のアーティストに非常に影響を与えました。

カラヴァッジオもこのピエタのキリストのポーズにインスピレーションを得て、「キリストの埋葬」の腕だらんを描いたようだし、カラヴァッジオと同時期にローマで活躍した アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)もこのポーズを使っています。



更なる腕だらん



「キリストの死(三人のマリア)」(1606,ロンドン・ナショナルギャラリー)


DVDのカバーにまで使うなんて、みんなどんだけ腕だらんが好きなんだ!
と思いましたが、あたしも好きだな、腕だらん。

この抱きかかえられるポーズ、身体のしなやかさと無防備さが強調されて、そこはかとなくエロティックだと思いませんか。

死んでるというより、眠っているようでもありますしね。 あ、カラッチのは明らかに死んでるか、顔青いわ。


まあ、とにかくこんなトリビアを知ってからDVDカバーを眺めると、なかなか奥が深いですよね。

こういう遊び心は大好きです。単なる偶然だったら寂しいですが。






最近エロスが足りなくね?と思ったらクリック! 次回がんばります。
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2009年6月28日

裸のモナ・リザ?

ちょっとおもしろいニュースを見つけました。

レオナルド・ダヴィンチの作と思われる裸婦像が見つかったそうなんですが、それがなんとかの有名な「モナ・リザ」こと「ジョコンダ婦人の肖像」のそっくりなんだそうで、ちょっと話題になっています。



じゃあ見てみますか。




















ちなみにこちらがルーブル美術館にある本物



















顔はまあ、似ているけど全く同じとは言いがたい(第一、ダヴィンチの描く人間は同じような顔をしたものが多い)。
しかしこの正面を向くポーズ、腕の置き方、背景の空間、両脇に見える柱など、明らかにモナ・リザを意識した、というかすぐにモナ・リザを連想する構成がされているのも事実。

この絵は、最低でも一世紀の間、個人の書斎の壁の中に隠されていたそうです。

ナポレオンの叔父ジョゼフ・フェッシュのコレクションの一部だったらしく、一緒に見つかった書類にはフェッシュが「ダヴィンチによるフランシス一世の愛人、モナ・リザの肖像画」を買ったと書かれていました。

現在はダヴィンチの故郷、イタリア、ヴィンチ村にある美術館に展示されており、製作年と本当の作者を調べる調査が行われています。

これは本物のダヴィンチの作品でない可能性のほうが高い、ということですが、もしかするとダヴィンチによるオリジナルのコピーであるかもしれない、とニュースでは言っていました。

ダヴィンチが裸のモナ・リザを描いていた、というのは中々信憑性の高い仮説です。

と言うのも、ヌードのモナ・リザだと言われる作品は最低でも6つ見つかっているのです。
どれもダヴィンチの作ではないものの彼の作風に良く似ており、ダヴィンチによる本物を見た信奉者たちが真似して描いた、というのは確かにありそうな話ですな。

専門家によると、この絵はダヴィンチの弟子たちによるモナ・リザをテーマにしたエロティック絵画のシリーズの一枚ではないか、ということです。

このシリーズは「モナ・ヴァナ」と呼ばれていたそうで、まあ要は上半身裸の女(多分娼婦や貴族の愛人)がモナ・リザっぽいポーズを取った絵なんですが、当時は不謹慎だということであまり人目に触れることはなかったんだそうです。

っていうか、モナ・リザをテーマにエロ絵画を描くって!


わたくし、いろんなエロ絵画を見てきましたが、モナ・リザをエロくするっていう考えには及びませんで。

やっぱりあれかね、あの胸の開き加減が、1400年代には刺激的だったんですかね。




眉毛無いのもセックス・アピールの一環だった?
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2009年5月4日

フランシス・ベーコン 「キリスト磔刑図のための3つの習作」

五月ですね。

五月病かもしれないですが、何だかしんどいです。


あー、しんど。


なんだかんだと忙しく、更新が滞りぎみです。
落ち着いたらもうちょっと頻繁に更新したいんですけどね。


今月からニューヨークのメトロポリタン美術館でフランシス・ベーコン(1909-1992)の展覧会が始まるそうですよ。

ベーコンはアイルランド出身の画家です。スタイルはシュールリアリズムですかね。

彼の絵画の特徴といえば、独特の残酷さとエグさ、そしてにじみ出るような狂気。

感性にグイグイ訴えかけてくる作風なので、説明するより見たほうが早いかも知れません。












キリスト磔刑図のための3つの習作 1962


やー、病んでるー。

人体はグロテスクにゆがめられ、肉塊と化しております。
皮膚や四肢が取り去られ、骨や内蔵の一部が覗いている、肉の塊。
赤みはあるのに、血が滴っているような生生しさがないのが、学校の理科室にある人体標本を思い出させますね。こうなるともう人間というより、屠殺場にぶら下がっている精肉ですな。


右の人体(というか肉)はイタリアン・ゴシックの巨匠チマブーエ(1240-1302)のキリストの磔刑をモチーフにしているそうです。


















キリストの磔刑 1987-88 


ベーコンの指しているのは1272-74の別の作品ですが、イメージが見つからないのでこれで代用。


チマブーエの絵を「芋虫が十字架を這い降りているよう」だと考えたというベーコン。
その感覚を表現したかったんだとインタビューで語っています。


うん、まあ、独特な感覚ですなあ。


ベーコンは磔刑のモチーフを多用しましたが、彼自身はクリスチャンではなく、自分のアートでは磔刑は宗教的な意味合いを持たないと宣言していました。 

彼は無宗教者として磔刑を「人間の行動」として捉えていたといいますが、この死骸のような肉と十字架のイメージは、動物をいけにえとして屠り捧げる儀式を彷彿とさせます。



ああ、グロきも素敵(ほめ言葉)。



ベーコンはゲイだったというのでも有名です。恋人のポートレイトを描いたりなんかもしてるし。

そのうち映画でもできるんじゃないかしら。


文字通り内臓からゾクゾクする絵が盛りだくさんなので、5月病も吹き飛びますね!



ニューヨークに行く予定のある方はぜひ!
ない方もGoogleイメージでクグってみるときっと楽しいですよ!(病んだ笑顔)






あ、今回エロ無し!
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2009年4月9日

カラヴァッジオ 「愛の勝利」

ひさしぶりにアートですよ。そしてエロスですよ。

今回はエロ絵師はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(1571-1610)、通称カラヴァッジオ。ミラノ出身のバロックを代表する画家です。

近年のカラヴァッジオの人気はすごいですね。生涯が小説や映画になったりして、一般の人にも知名度が上がっているようです。

カラヴァッジオと言えば、光と影のコントラストが強い「キアラスクロ」という作風で知らせています。この手法を多用したドラマティックな宗教画で16世紀イタリアを風靡し、公に弟子は取らなかったものの、カラヴァジェスティと呼ばれる信奉者たちがこの作風を真似た絵をこの頃沢山制作しました。

















「聖マタイの召喚」(1599-1600)一度は教科書などで見た事あるのでは?

まあ今回は宗教画は置いておきましょう。また機会があるだろうし。

行きますぜ、今回もエロしか置かない空想美術館!





















はい、男の子です。

意外と知られていないことなのですが、カラヴァッジオはバイセクシュアルだったと言われています。両刀使いだったってことですね。

これは愛(キューピッドは性愛の神とされる)は楽器やらペンやら人間の文化と呼べるものすべてを上回っているという寓話的な絵、ということになっていますが、コレ、それだけであるわけがない。

この表情、明らかに誘ってる、大きいお友達を。

カラヴァッジオは人物を描く時に必ずモデルを使用しました。彼の絵には同じ人物が何度も登場するので、モデル達のことも大分分かっています。

この絵の中で、愛ことキューピッドに扮しているのはチェコと呼ばれた少年。カラヴァッジオのモデル、兼弟子、兼愛人ですな。

(あ、上の聖マタイの中にもいますよ、チェコ。 探してみてね)

こんなどう見ても12、3歳の少年を囲ってたっていうのは信じがたい。

しかしこのチェコ、とにかくエロい。

「おいでよ、僕と一緒にあそぼう?」っていう感じだけど、この場合の遊びは絶対イケナイ事。

なくそう子どもポルノ!のキャンペーンに真っ向から向かっていく作品です。



この作品を実際にベルリンで見たんですけど、本物もすごいインパクト。
みんなこの絵の前で一瞬びくっと足を止めていました。


次回はもう少し成長したチェコを見てみましょう。(いずれ書くという前提)



クリックしてもらえるとやる気が出ます。
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2009年3月22日

ごたごたしてます

いやあ、3月って忙しいですね。2月より断然忙しいです。

外はだいぶ暖かくなってきましたね。なかなかアウトドアをエンジョイする機会がありませんので、隣のうちで生まれた子犬が夜昼関係なく叫びまくっている声を聞いて、春だなあと感じます。

春といえば、繁殖。 なんて風流のかけらもない文章。

いやいや、お隣さんはブリーダーなんですよ。
犬の種類は詳しくないんですが、なんかだいぶヘチャムクれてしわのよった犬をたくさん飼ってます。子犬が産まれたばっかりでまた繁殖して欲しくないのか、メスとオスとを分けているようです。

ひとつのケージにメス1匹、もう片方のケージにはオス4匹。
ひしめき合いながら、ケージ越しにメスを見つめるオスたち。無関心を装って座っているメスはさながら女王様。犬の世界でもモテるってのはえらいことなんだなあ。

畜生とはいえ、一体どんなドラマが起こっているのか気になるところです。



肝心のエロ絵画については、一応書き進めているのです、これでも。

次回は取っておきの一枚です。繁殖シーズンなので、あえてBL風味で。
時間を見つけて更新したいと思ってます。気長にお付き合いくださいませ。


あ、あとTwitter始めました。
みらんは更新をサボって何をしてるのかしら、と思う方は覗いてみてくださいな。



まだ使い方が良くわかってないけど
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2009年3月5日

登録変更のお知らせ

また更新をサボってしまった。気が付いたらもう3月。

実は学期が終わり、留学も終わったので帰国しました。
帰る前のゴタゴタと帰ってからの手続きが結構大変で、すっかりブログのことを忘れていた、という感じ。


まったく更新していない期間にも見に来てくださっていた方がいらしたようで、本当にありがたいです。



ここからはお知らせです。

ドイツから帰ってきてしまったので、ブログ村の登録カテゴリー「海外ドイツ」を外したいと思っています。
ドイツ語の勉強は続けますが、実際にドイツに住んでいないのにドイツを名乗り続けるのもどうかと思うので。

これからは、本来のブログの目的である「美術鑑賞」のみでの登録になりますが、またぜひ覗きにいらして下さい。頑張って美術系の記事を書きたいと思います。

私も今年は学生を卒業いたしますので、また新しい生活になると思いますが、健全に、明るく、美術とエロを追求していく所存であります。(わー、台無し!)

これからも、私みらんと センターフォールド美術系 をどうぞよろしくお願いいたします。


林みらん

2009年1月22日

ルドルフ・ベリング 「エロティシズム」

なんだか生気を吸い取られたようになっている。いや、確かにいつもそうなんだけど。

この間エッセンに行ってきまして、ヴィラ・フーゲルという屋敷で開かれていた美術展を見てきました。
現在工事中のフォルクガング・ミュージアムのコレクションで、かなり気合の入った作品群でしたぜ。

いい作品が本当に沢山あったのですが、アート好きを気取ったエロマニア(俗にむっつりスケベと呼ばれる)としては外せない!と思ったのが、ルドルフ・ベリング(1886-1972)の彫刻、「エロティシズム」(1920)。

タイトルだけ聞いて、エッ、そんなのっていいの?と思った紳士淑女の皆さん、ご安心なされ。


















こんなんだから。


まずは、本屋ですっごい恥ずかしい思いをしながら買ったバスタードの単行本にHシーンが全く無かった、みたいな脱力感を味わっていただきたい。思わせぶりな表紙つけんなよ!みたいな。 いや、経験談とかじゃないですよ?

ようやく気持ちが落ち着いた所で、もう一度よく見てみてください。
一見ゴテゴテした輪のように見えるこの作品、実は絡み合う2人の人間の体なんです。

背中をアーチ上にして上になっているのが男性の体で、右側が頭、左端がウエストです。
男性の頭の下にあるのが女性の頭、キスしているんですね(写真では見えないけど2人とも口を開けている)。下側になっているのが彼女の身体で、男性の腰の横に折り曲げた脚が見えます。女性の体の横に見えるのは彼女の背中をかき抱いている男性の手。

正上位で抱き合っているカップル、というわけです。 

分かりやすくはないが、看板に偽りなしということか。エロティシズムというよりむしろ直球のエロです。でかした!

後ろから見るともっとよくわかるかも。














がっつり組み合ってます。

ベリングは金属を使ってキュービズムの彫刻を沢山作りました。沢山の視点を使ってモチーフを抽象化し、動きを表現しようとしたんですな。彫刻なので実際に動きはしないんですが、輪という形状と鋭角を多用した輪郭には確かに動き出しそうな躍動感があります。

躍動感というか、まあ激しくなっちゃってる様子は十分に表現されてると思う。

輪、というモチーフにはどこまでも終わりが無いという意味があるので、どこからが彼の身体で、どこまでが彼女の身体だという境界線が無いということでもありそうです。文字通り一つになっちゃってるんですね。

キュービストの彫刻では人体がかなり抽象化されているので、これはどの部分、あれはこの部分と探しながら見るより、あー、がっちり絡み合っちゃってんな、と全体の雰囲気を見るといいかもしれない(あとはアレだ、事の最中の躍動感だ!)

最初は ?と思っても、注意して眺めていると !となる作品は結構多いものです。

隠れたエロスを発掘するのって楽しい。




彫刻の周りを5,6週しちゃったけどね
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2009年1月11日

アートと政治、戦争の関係

週末エッセンに小旅行に行ってきました。いい絵を沢山見たので、そのときの事をアップしようと思ったのですが、ガザのニュースを見て気が変わりました。

何故みんなが平和に暮らせないの?とナイーブな事を言うつもりはありません。


だけど人間の命が、民間人の命がこんな風に失われていいはずがない。


以前紹介したタニア・オストイッチがインタビューで語った言葉を思い出しました。

「作品を見る人にどういった反応を引き起こしたいと思いますか?」という質問に対しての返答は、

「思考回路を刺激して、その人が今までに考えたこと、経験したこと、もしくは意識したことがなかった何かを認知して欲しいのです。経験上言える事ですが、アートでは社会的・政治的な現実をすぐに変える事は出来ません。しかしアートが非政治的でないという事は重要なのです。アートは時にある種の疑問を投げかけますし、現在主流となっている風潮とは違う価値観を提供する事も出来るのですから」というものでした。

美術に携わって生きていこうと決めた頃、胸に刻んだ言葉です。

自分に出来ること何もはないから、というのは無関心でいる理由にはならない、そう思います。

今回紹介するのはドイツ人アーティスト、バーバラ・ハラリ(1979-)のショート・フィルム、「より良い世界のために」2006年

アメリカの中東での戦争をテーマにした作品で、ヨーロッパではいくつも賞を取りました。

「メディアに出る戦争の写真はほとんど感情に訴えることがありません。頭に浮かぶのは『状況の描写』という言葉だけです。このフィルムはその言葉を観念的な映像とし、自分自信をその状況に置いてみようという試みで作りました。戦争というものが一人の人間にとって意味する事とは何なのでしょう」-ウェブサイトより


ドローイングを連続して撮影したトリック・フィルムですが、非常にショッキングでグラフィックな絵が含まれています。リンクを張っておきますが、見て気分の悪くなる方もいるかもしれません、十分注意してくださいね。

For a Better World, Barbara Hlali, 2006 (部分)

ガザの犠牲者の冥福を祈りながら。一刻も早く殺戮が終わりますように。




次回はエロスに戻ろうか
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2009年1月4日

エゴン・シーレ2 妻エディットの肖像

いい加減に書き終わらないと忘れてしまうので、ようやくシーレの続きを書きます。

前回の記事はこちらから

さてシーレは1915年、25歳の時に裕福なうちの娘エディット・ハームスと結婚します。が、当時モデル兼愛人だったヴァリー・ノイツェルとも関係を続けるつもりだったようで、毎年エディット抜きでヴァケーションに行こうと提案しますが、断られます。あたり前だわな。この後ヴァリーは看護婦になり、シーレとは一生会わなかったそうです。

結婚に関してどこか冷めた目で見ていて、エディットにも一度もラブ・レターを書いたことがなかったという。新妻から抱きしめられている自画像は、四肢に力が入っていないのがまるわかりです。ていうか、まるで死んだ魚の目です。なんだそれ、愛情が重荷だったんかい。




















座る夫婦(エゴンとエディット・シーレ)1915

シーレは新婚4日で徴兵され戦地に赴きますが、1917年に無事帰国、ウィーンに新居を構えます。
画家として成功したこともあってか、家庭的に落ち着いた生活をしていたようです。わたくし個人的には初期のビリビリした緊張感のある絵よりも、この頃の絵のほうが好き。なんだか丸くなったようで。

当然のように妻の裸も描きまくる。















裸婦像

このスケッチは特にそうだけど、初期に描いていた少女達と比べると明らかに線が柔らかく穏やかになり、全体的に優美な落ち着きがある。エディットの表情にも、ふと起き上がった瞬間を捉えたような生活感が感じられますな。

 










「横たわる女」1917

きわどいポーズの絵にしてみても、前よりもずっと明るい開放的な雰囲気になっています。
やっぱり結婚して性エネルギーが開放されのか、生き生きとした人間らしい表現になったなと。













「抱擁」1917

あまり奥さんを大事にしていなかったのかと思いきや、こんな絵を描いたりもして。シーツの上で抱き合うカップルはもちろん自分とエディット。
実はこの絵、結構緊張感があるんですよ。シーレの女暦、というか女癖もあってか、二人の結婚生活は中々波乱万丈だったようです。どこか硬い感じのポーズで、いまいち密着しあっていない。でもエディットがシーレの首筋に添えた手や、互いに抱き合う腕の力からはやっぱり愛情が伝わってきて、何度見てもモキュモキュさせらせちゃうんですが。

シーレはこの翌年、1918年にインフルエンザ(スペイン風邪)で28歳の若さで亡くなります。くしくも当時妊娠6ヶ月だったエディットが同じ病に屈した3日後でした。最後の作品は妻のスケッチだったそうです。

長生きしていたら、きっと沢山の作品を残していただろうに。この後、シーレが歳を取っていくにつれて、どんな風に作風が変化していっただろうと思うと残念です。

晩年の作品はそんなにポルノちっくではないので、ドイツ、オーストリア辺りにお住まいの方はぜひ美術館で本物をご覧になってみては?


セクシーな気分になれること請け合いです。

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2009年1月3日

EUパスポート保持者の夫を募集中

ギュスターヴ・クールベの「世界の起源」を書いていて思い出したのだけど、あれのパロディで面白いのがある。

セルビア出身のフェミニスト・アーティスト、タニア・オストイッチのパロディー、通称「EUパンティー」である。















Tanja Ostojic, L'Origine du monde, 2002. 「世界の起源」

EUの星マークの入ったパンティーを穿いている以外は、クールベの絵と同じ構図の写真(モデルはアーティスト本人)。

オストイッチはセルビアを含む他の東ヨーロッパとEUの関係をテーマにした作品を多く製作しており、その中でEUの経済的、政治的な権力とその尊大さを疑問視しています。この写真は色んな解釈が出来ると思うけど、まず最初に思いつくのはタイトルとの関係。ヨーロッパの起源とは実際何なんだろうか。EUってどこまでヨーロッパを代表するものなんだろうか。

フェミニストであるオストイッチは、EU加盟国以外の東ヨーロッパの女性の現状に焦点を当てます。
2000年のインターネット・プロジェクト「EUパスポート保持者の夫を募集中」は中々ショッキングな作品。




















Tanja Ostojic, Looking for a Husband with a EU passport, Interactive Web Project, 2000-2005
この作品でオストイッチは「EUパスポート保持者の夫を募集しています」と書いた自分のヌード写真を実際にウェブ上に公開した。写真の下には「応募書類をhottanja @hotmail.com まで送ってください。質問詳細などご遠慮なくどうぞ」と書かれています。

みらんは実際にこの作品を見たことがあるのです。
インスタレーションとして展示してあったのは、上の写真、この写真を見た男性達から送られてきたおびただしい数のEメールのプリントアウト、アーティストと男性達のメールでのやり取り、そして、彼女が選んだ一人の男性とベルグラードで始めて会った時のビデオでした(これもパフォーマンスの一環だった)。












オストイッチはメッセージを送ってきた男性たちとメールで交信を続け、7ヵ月間の交信の後にドイツ人アーティストのクレメンス・ゴルフと結婚、ドイツへの3年間の居住許可を手に入れます。その後デュッセルドルフに住みますが、2005年に許可が切れたとき、彼女には永住権ではなく2年間の期限付きビザが与えられます。オストイチはその年に離婚し、ベルリンのギャラリーで「離婚パーティー」と題したパフォーマンスを行っています。

このアートに対する姿勢というのはすさまじいものがある。
これはウェブで夫を募集して結婚してしまう、というもはやアートの粋を超えているんではないか、というプロジェクトなわけですが、実際に、多くの東ヨーロッパの女性達がこの手段で豊かな国に移住しているのも事実なのです。売春の一環のようによく言われますが、実際にあまり変わらなかったりする。

まるで囚人のように丸坊主のオストイッチは、裸でこそあれ、まるで性的な匂いを感じさせない。どちらかというと警察で撮られる写真みたいに直立、挑むような目つきでカメラを見つめる。それでも、送られてきたメールはすごいものばかり。「こんにちは、お嬢さん」から始まるものだったり、「君の写真見て勃起しちゃったよ・・・!」っていうのもある、っていう違いはあれど、どれもみな彼女を性的な対象として見ている。最初は仕事の話をしていた男も、メールの交信を重ねるうちに「毛はいつも剃ってるの?」と書いてきたり。

3年間結婚していても結局永住権は得られなかった、というところにEUの移民に対する厳しい姿勢が見えますが、それ以上にジェンダーやEUの現状に対して色んな疑問が湧き上がる作品。見た後すごくモヤモヤします。ショッキングです。

これを見た後にEUパンティーを見ると、また違った見方が出来るかもしれない。女性はパンツ脱がないとEUに入れないとか。

スロバキアがユーロを導入したというニュースを聞いたので、今回はハードコアでした。

2009年1月2日

明けまして

おめでとうございます。

まもなく学校も始まることだし、なんだかイマイチおめでたい気がしないのだけど、まあ良しとしよう。

大晦日は友達のうちに招待されたので、彼女とお兄さんと彼女の彼氏と4人でDVDなどを見て過ごした。アイス・エイジ2、悪くはないんだけど、あまり良くもない映画であった。

最近どの映画もシリーズ化させる傾向があるけど、あれってどうなんだろうか。ジェームス・ボンドの新作も前回の続きらしいし(まだ見てない)、映画業界はよっぽどネタ切れなのかもしれない、などと考えていたら、「もう寝るよ」と立ち上がりかけたお兄さんがすごい爆音で放屁した。

部屋中に染み渡る沈黙。

テレビではクリスティーナ・アギレラのライブをやっていたので、軽いプッであればみんな聞こえないふりをして平和に事が運べたのだろうけど、ちょっと気づかないふりが出来ないくらいの大音量、しかも長いという、屁の中の屁、とでも言うべき屁の音であった。

本人も予想外の事態に戸惑ったのか、ソファから立ち上がりかけたまま、中腰の姿勢で固まってしまった。いくら屁をこいたからって、そんな律儀に屁っぴり腰でいなくてもいいのに、と思ったけど、本当にしばらくフリーズしていた。確かにちょっとしたパーソナル・クライシスではある。

こういうときのリアクションというのは、家族や個人によって非常に異なる。

屁を放った本人がすぐに「いやあ悪い悪い、出ちゃったよ!!」と明るく言い放てば、まわりも「もう、しょうがないんだから!ウフフアハハ」で済むのだが、これはかなり高度なテクニックである。
周りが「ウフフアハハ」と笑ってくれず、シーンとしてしまった場合は自爆するので、周りの人間との信頼関係がないとオススメできない。

わたくし個人に関して言えば、お兄さんが放屁した0コンマ7秒くらいあとには、いつでもウフフが出来る準備をしていた。しかし、彼に最も近い存在であるはずの妹が沈黙を貫き通す姿勢を見せたので、郷に入れば郷に従えということで、画面の中のクリスティーナを凝視し、彼が精神的に回復するのを静かに待った。

お兄さんはようやく動き出すと、おもむろにテーブルの上の食器をいくつか集め、無言でキッチンへ向かい、必要以上にガチャガチャ音をさせながら片づけをしていた。まるで彼の心の悲鳴のような音であった。
気が済むまでガチャガチャやったらいいよ、涙の数だけ強くなれるから、と静かに思った、そんな新年。



今年はどんな年になるのだろうかと思ったけど、どんなに頑張っても想像できる気がしないので止めた。とりあえずアレだ、プライオリティは健康と精神衛生だ。

新年早々、あからさまに無気力なみらんですが、このブログともどもよろしくお願いいたします。

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